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逃げ恥×シンゴジラ×君の名は《※ネタバレあり》



逃げ恥×シンゴジラ×君の名は《※ネタバレあり》】




最近、妹が、逃げ恥”こと『逃げるは恥だが役に立つ』というドラマにどハマりしてまして……。



テレビを占領してるんですよね……。
いつ帰ってきてもだいたいテレビの画面では、星野源と新垣結衣がイチャラブってます(笑)


なんだよ、ウチは医療ドラマでちょっとでも頭を薬漬けにするか、
ノーベル賞のオートファジーについてかじっておきたいんや!
ニュース見せろ!!!

とか思ってても毎晩毎晩ドラマで……。はぁ……って感じ。



しゃーなしで、
逃げ恥ぃぃ???
ただの逃げだろ、ただの恥だ!それ以上でもそれ以下でもない。
糞ドラマ見せやがって!
ガッキーが可愛いだけの、少女漫画タッチドラマとかヘドが出るわ(怒)

星野源とかどーでもええわボケ、何がメガネすちゃっ(キリッ)やねん!
さっさとメガネ買い直しとけ!SEでメガネ合ってないとか無理あるやろ、仕事に差し支えるわ(ピキピキ


って毎晩イライラしてたんですが、…………





ある日ふと気づくと、

自分の口からも、
「胸の中にあるもの〜♩いつか見えなくなるもの〜♩」
ってED曲が、漏れ出してて(笑)



体が勝手に恋ダンスを踊り出してました(爆)

201612141950155a2.jpeg





そして気付いてしまう新事実!?

ガッキー(女)が可愛いドラマなんじゃなくて、
星野源(男)がカワイイドラマだったという驚愕の真実に!



こんなカワイイ36歳どこ探してもいねぇよwwwって思いながらも、
あれ?もし、自分が女の子だったら、
意外とこのダメひらまささん(星野源)に恋しちゃえるんじゃね?
ということに気付いてしまい、
まさかの脳内ホモ展開に身悶えている今日この頃です。








はい。クイズRPG魔法使いと黒猫のウィズ、廃課金プレーヤー・たちゅまるです。







なんの話だwww

って感じで書き始めてみましたが、



今日はウィズは全く関係なしで、
最近、自分へのちょっとしたご褒美というか、軽い息抜きがてら。

2本ほど映画を観てきたので、
そのレポートを書きます。



2つとも語りたくて語りたくて堪らない作品だったので。


気持ちの整理を含めて、
感想をまとめていきたいと思います!







ウィズは全く関係ないですが、よければ是非!

ただ映画レポートは数作まとめて書くので、
ウィズプレーヤーの方々は退屈なだけだと思うのでスルーしちゃって下さい。
無駄に長いですヽ(≧∀≦)ノ




映画レポートです。
ここ1年ほど、これは絶対観たいって琴線に触れる映画ないや(๑´ڡ`๑)てへぺろ



毎回、最近見た映画について
うだうだ書き連ねていくだけですが、
公開したての最新作であったりDVDレンタル始まりたてであったり。
なるべく幅広く、そして新しい作品を紹介したいと思います。



※※※以下、ネタバレありです。そーゆーのが嫌な人は絶対に見ないで下さい!※※※





































今回レポートしたい映画は、

シン・ゴジラ
君の名は。


の計2本です。





それでは本題の映画レポート。
1つでも気になる映画があれば、
是非是非、下↓↓↓の「more…」タブからどうぞ!
どれも別に……興味ねぇやって方も、
是非是非、下↓↓↓の「more…」タブ覗いてみて下さい!








いつも、映画レポート書いてる時は、
自分用メモ的に、映画の簡潔紹介文をまとめてる感じでしたが、

今回は、私の中に渦巻いているこの感情を曝け出す、
感想レポートの色が強いです。
なので、極力減らしますが、本当にネタバレ多め】になるので、
未鑑賞の人は、絶対に見ないでくださいね。



こんなに面白い2作品を、
未鑑賞の人から奪いたくないです。







★『シン・ゴジラ
20161212201642441.jpeg

→→→NOW WRITING
すみませぬ、しばしお待ちを










★『君の名は。
20161212201641875.jpeg


【あらすじetc】
ジャンルの定義付けが、ちょっと難しいアニメ映画。
私なら、SF純愛ものと評したいです。

主人公タキくん(男)と、ヒロインのみつは(女)の高校生コンビの繰り広げる純愛ラブストーリーと、立ちはだかる世界の壁、絶対に越えられない障害にもがくストーリー。

世間では大ヒットしてるそうで、
その理由の一端は、(絵の壮麗さなどもあるでしょうが、)
一番のヒット理由は、大胆なストーリー展開と、予期せぬ顛末でしょうねぇ……。こればかりは実際に鑑賞しないと実感できないです。
色んな所で言われてることですが、前半から受ける印象と後半から受ける印象とで、劇的に一変する珍しい作品。
なのに、その変化が、作品の深みをより濃厚にし、なおかつタイトル名へと原点回帰するとゆー、
面白い試みが、挑戦的に、そして挑発的に視聴者の心を鷲掴みにしていきます。


映画のあらましとしては以上かな。
本格的に内容に入っていくので、嫌なら、ここからは進まないで下さい(笑)




【感想・考察】
後半からの怒涛の展開ですよねぇ、、、やっぱ。語りたいのは。
前半の茶番というか、
恋へと発展していく2人の心の動きっていう重要なファクターになってるけれど、
やっぱり後半へと“繋ぐための糸”というか、有体に言うと下地というか伏線というか。

本題はその恋愛ではない。

それが叶わない絶望的な世界観と、そこに見出される一つかみの「奇跡」こそが、
君の名は。』の核となる部分です。

だからこそ、
前半の「タキくんが、そしてみつはが、お互いに好きになっていく過程」の演出が疎かになっている点、
とかは、私的にはどーでもいいんです。何故なら、本題はそこじゃないから。目をつぶります。
若干、「えっ好きになる要素あった?はしょりすぎじゃね?」みたいにも感じましたが、
映画には尺があります。表現の制限上、多少の物足りなさは仕方ないかなぁと。

でも、後半の、「2人の恋を阻む世界観から紡ぎ出される唯一の奇跡=タキとみつはの再会」は、
もっと鮮烈に描くべきだったと思います。


忘れてしまうのも仕方がない。
忘れてるのに再会できてしまうって奇跡がなぜか起きてしまうのも許そう。

私が腑に落ちないのは、
「好きな人を忘れる」ことの表現が、
主人公たちの「誰だ?」という台詞だけで累積し演出されている点です。

本来なら、主人公たちが互いの恋を忘れてしまうのは、
「世界の壁」が誘因でなければいけない。



決して、本人たちの恋が薄い、軽いものだったから忘れ去ってしまうのではない。
世界の阻む距離が、2人の恋を引き裂いてしまうのだ。

現実でもそうだと思う。
初恋なんて、本人の気持ちが軽いものだったから忘れてしまうのでは決してない。
人間の脳の限界値が、世界に設定されているがために、
好きだったことを、好きな人を忘れてしまう。

こういってしまうと、「私は初恋を覚えてるよ」と言われそうですが、
そんなことはないはず。
好きだったという事実を覚えているだけで、
当時の「好きだという感情」を、激情を、覚えているわけではないはずだ。
間違いなく、「好きだという感情」は今の自分なんかよりも、
当時の自分の方が強かったはずだ。猛烈だったはずだ。

今でも好きですよ、なんて言ったら当時の自分に殴り飛ばされてしまいますよ(笑)


だけど、それは忘れてしまった自分が悪いのではない。
忘れてしまうという人間のキャパシティの限界が悪いのだ。

その、人間にはどうしようもない「世界からの妨害」が、
君の名は。』では鮮明に描かれている
と私は感じた。

恋の、忘却。相手の名前まで忘れてしまう、
「お前は誰だ?」という最初に見せられたタキ君の放つキーワードに、最後にもう一度原点回帰させられ、魅せられてしまう。

終わった後に考えるタイトル名、君の名は。
恋の儚さ、遠い過去の記憶。

そういったものがうまく描けていて面白い作品だと思う。

その繊細なタッチの表現が、日本人の時間に追われた生活にどストレートに突き刺さったのだと思う。



が、先にも書いたが、
私が唯一納得いかないのは、
忘れる際の演出法
だ。

「誰だ?」という声だけで演出されてしまっている。
たしかに、
現実に即して、
「誰だっけ?えっと覚えてるはずなんだけど……」
と忘れてしまう長い時間の過程が、簡潔に、よく表現されていると思う。

時間の累積こそが、忘却へとつなぐ犯人そのものなので、
そこには何のエフェクトもなく、
ただ私たちの「誰だ?」という台詞の累積があるだけだ。
誰だっけ?と繰り返していくうちに本当に思い出せなくなってしまう。時間の積み重ねを、人は乗り越えることができない。


だから、『君の名は。』でも、
忘れることの演出が「誰だ?」の繰り返しだけで表現されているのは、
非常に面白いのだが、
それでは、主人公たちが「タキくん」「みつは」を忘れてしまうのは、
本人のせいだと描いてしまっているようなもの
だ。
だって実際に思い出せないでいるのは、2人本人なのだから。

本来なら、その累積の間には長大な時間が阻んでいるはずなのに、
映画の中では尺の都合上、「誰だ?」を連発するだけで、時間が犯人であるということが伝わらない。

忘れているのは紛れもなくタキとみつはで、
本来、作品の全体を通して描いているはずの、「恋を忘れてしまわざるを得ない世界の壁、時空の壁」という根幹を蔑ろにしてしまっていると、私は感じた。


だから、例の名前を忘れるシーン「誰だ?」の前には、
2人を忘却の彼方へと突き出す世界のイタズラが、エフェクトとして描かれるべきだったと私は思う。

例えば画面のトーンが白黒反転し、世界が変わってしまったかのような光の演出とか。
素人アイディアで拙いけれどとにかく、アニメ的表現が欲しかった。
アニメ映画なのだから、それぐらいの演出は許されたはずだと思う。


でなければ、タキくんとみつはの忘却が、
世界・時間に阻まれたもので、そこからの奇跡的な「繋がり」再会、運命の糸という演出が、物足りなくなってしまう。
と、素直に受け入れられないでいるのが私の見終わった感想です。


完璧すぎるほどに、洗練された構想の作品だったので、
私はラストの展開に、もう1つ工夫が欲しかったと高望みしてしまう作品でした。



まとめると、
「タキくん、みつはのおっぱい揉み過ぎ。男なら下にも行って下さい。
そんな所かな?
(全部タキくんが悪い!そーゆーことで一件落着、的な。)





【好きな台詞】
ちなみに、私が一番ビビっと来て好きな台詞は、
みつはの「(タキくん、)覚えてない?」
です!
これ大好き!

2人の間を繋ぐ赤い糸。
それを無残に引き裂こうとする時空の壁。

抗う2人の切ない思いの全てが、たったそれだけの台詞に凝集されていて、
胸に重くのしかかります。

みつはのおばーちゃんも、糸の講釈とか、それっぽい名言つぶやいてますが、
やっぱり耳に残るのは、みつはの覚えてない?ですね〜。
あの一言をもう一度聞くためだけに、もう一度観たいレベル(笑)






それから、もう少し考えてみたことをチラホラとメモ書き。

【彗星の尾について】
彗星とは、
いわゆる「ほうき星」。

最初に見た時思ったんですよね……。
せっかく絵が綺麗なのに、
彗星のほうき、つまり尾の部分の描写がただの線でずっと残ってるのって、
なんか、ちゃちくね?っていう。

もっとザ・彗星みたいな描き方できたんちゃう?みたいな。
シュピーン!シュン……キラキラ…的な。(語彙力なくてゴメンwww)

けれど終わってからよくよく考えてみると、
あれは、線でなければならなかったんですね…。そこまで考えて描いているとは最初は思いもよらなかったです。

だって滝と三葉の仲を裂くのが、彗星であれば、
また“繋ぐ”のも、彗星でなければならないのだから。



2人の時空を分かつ「境界線」としての役割を持つ彗星の尾ですが。
同時に、運命の赤い“糸”としての役割も持つ彗星の尾は、「糸」のような線でなければならなかったのかなぁ〜とか。見終わって振り返ると、考えてしまいます。

現実の彗星の尾は、実は「イオンの尾」と「ダストの尾」といって2本あったり、
また、物理面からしょーもない挙足取りをするなら、尾を引く向きが根本的に間違っているとかもあったりしますが、
そういう細かいことに、無駄に忠実なのではなく。
あえてデフォルメされた線、ラインとして描かれています。
「線」かつ「糸」として在り続けなければならなかったのだと思います。




【口噛み酒】
一部の変態メンズの間で、「三葉ちゃんの口噛み酒をガブ呑みしたい///」
というゲスい話題が飛び交っています。
あるいは、滝君の口噛み酒というビックリワードも見かけました。

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が、思うのですが、
それって酒税法違反で捕まりますよね……。
呑みたいけども(笑)

調べてみたところ、
アルコール分が本当に1%を越えてしまうと、
たとえ個人利用だとしても酒税法違反、つまり脱税としてしょっぴかれるそうですよ。
アルコール1%以上が作られると、その時点でアウトってこと。
梅酒等の個人製造とは、話が別らしいですねぇ……。
「三葉’s口噛み酒」はオタク達の儚い夢だったそうです。

だが、私はここで提案しよう!
そんなことで諦めてしまっていいのか!?
お前らの、口噛み酒への執念はそれっぽちだったのか!?と。


あえて酒にする必要はないのではないか?と私は提案しよう。
つまり、プレイとして存在すればいい!

三葉ちゃんに「口噛み酒プレイをしよう!」と言って、
米を噛み噛みしてもらい、それをダラ〜っと口移しに直で流し込んで貰えばいいのです!
酒ではないけれど、気分はほろ酔い間違いなし!
(※私自身に、そのような変態的性癖があるわけではありません。あくまで代替案を提示しただけです。)


…………なんてことを書いてしまったんだ……
我ながら、三葉ちゃんとか現実にいないからね、妄想乙……引くわ〜

テンション上がりすぎて、逆に疲れました(笑)以後、自重します。




【黄昏とは?】
我々、黒ウィズプレーヤーにとっては、
「黄昏(たそがれ)」というキーワードは、非常に馴染み深い単語ですね(笑)

ずばり「メアレス」イベントですね。
該当イベントでは、舞台設定が「黄昏刻にのみ現実へのゲートが開く異世界」というものでした。

なので、現役ウィズプレーヤーであれば、
「黄昏」の語源については、
君の名は。』を観る前から、ある程度知っているはずです。

黄昏→たそがれ→「誰〈た〉そ彼〈かれ〉は?」
つまり、相手の顔も見分けが付かなくなるぐらいに、薄暗くなってくる時刻を指します。
転じて、比喩的に、物事の終わりが近づくことも意味します。

黒ウィズにおいても、
黄昏の、「暗くてよく分からない」という由縁から、
黄昏は事象の境界が曖昧になるゾーンと捉えており、
故に、現実世界とメアレス世界が繋がってしまう時間帯として描かれていました。
その境界が曖昧となってしまう時間に、敵のロストメアが境界を行き来しようとしてしまうため、それを食い止めねばなりませんでした。
どちらかというと、敵が暴れ出す「終焉」としての意味合いが強かったと私は思います。


今回の、
『君の名は。』では、
物事の終わりとしての意味よりも、
「境界」としての役割が、かなり強かったです。

昼と夜の境界、夕暮れ時。
ひいては、この世とあの世の境目。
作中で三葉のお婆ちゃんは、黄昏を挟んだ向こうの世界“あの世”のことを、
「隠り世(かくりよ)」と呼んでいました。
(ソシャゲ黒ウィズでは、境界を行き来できてしまうものとして描かれますが、)
『君の名は。』では、それは絶対に越えられない壁として、世界を分かちます。

この世から隔絶された世界が、夜/あの世/隠り世であり、
その境界線たる「黄昏刻」は、絶対不可侵の裂け目として描かれています。

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黄昏を境目に、
滝くんが三葉を救出に行ったものの、
越えることができず、…。
マジックで名前を書いてもらう途中に、繋がりが断たれてしまうシーンは衝撃的でしたね…。

つまり、『君の名は。』では、
「黄昏」という重要なファクターは、
常に、2人を分かつ障害として機能しています。


なぜ、「誰〈た〉そ彼〈かれ〉は?」という語源を説明する必要があるのか。
それは、
その境界線が原因で、2人が互いの名を忘れてしまうんだよということを象徴する存在でなければならなかったからです。
黄昏を挟んで存在する2人、
滝(この世)と三葉(あの世)は、決して相手の顔が分からないのです。
「たそがれ」すなわち「あなたは誰ですか?」という存在だからです。
それが私達、現代人にも分かりやすく掻い摘んだキーワードこそが、
「君の名は」というタイトルそのものだったのでしょう。




【タイトル末尾がクエスチョンではなく、句点である意義】
えぇ、えぇ。
私も観るまでは、大して意識してなかったです。
最近よくある、タイトル名を無駄に長くして「文章形式にしてみました系」の一亜種だと思ってました。

『君の名は。』も例に漏れず、文章っぽく、句点つけてるだけなんだと、視聴前は思ってました。

が、見終わって気付く。
この作品が、何も考えずにわざわざ句点「。」を付けるはずがないという事実に。


では、一体どんな意味が込められていて、付けることでどんな意義が生まれるのか?
よく分かりませんでしたが、自分なりの結論をば、過程と一緒にメモメモ。


まず、「。」であることが、本来なら不自然なんですよね……。
君の名は…、と来たら、普通は「?」だと私は思うのです。

劇中でも、
瀧くんは、初めて三葉の体に入った時、
「お前は誰だ?」ってノートに書き残してますよね?

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黄昏刻に迷い込み、三葉と奇跡的な再会を遂げた時でさえ、
相手の名前を、答えを求めています。マジックで書いてくれっつーぐらいですからね。
つまり、終始「君の名は?」なわけです。
「。」ではなく、「?」なのです。



ここからは、完全な推測とゆーか、妄想の域に入るのですが、
句点とは何か?
句点とは、文の終わりにつけるものです。文の切れ目にあるべきもの。

「君の名は。」は「?」でないことから、少なくとも、
相手に名前そのものの答えを求めているわけじゃないことは、おそらく正しいです。(タイトルに関しては。)

その上で、わざわざ何故、文を終わらせているのか?というと、
君の名を忘れてしまう原因が、彗星による時空の切断だとすると、

いわば「黄昏」こそが忘却への発端と言えます。

前述の【黄昏とは?】の項にも書きましたが、
黄昏とは、空間が曖昧になることで、現実と向こうの世界の境界線となっているものです。
なので「君の名は」というキーワード・忘れるという超常現象は、「黄昏」という曖昧なよく分からない世界に端を発していると言えます。

その人智では把握しきれない曖昧な「君の名は」という概念に、終止符を打つ、
「終わらせる」という意味が、タイトル名の「。」にはあると考えます。


黄昏には、
現代では「物事の終わり」という性質があるとも前述しました。

つまり、
境界線を隔てることで、瀧くんと三葉に生まれてしまった亀裂「名前の忘却」という「黄昏の曖昧さ」に、
終止符を打ち、まずは互いの名を知り、
「これから互いの名をあらためて知って、愛を始めよう!」という狙い
があるのかな?

みたいな。
深読みというか、もはや邪推ですね(笑)
ちょっと考えてみました。




【おまけ、ドラマ逃げ恥と絡めてみる】
2016年今年、個人的には、
サブカルもので流行ったものベスト4を選ぶなら、
・僕だけがいない街 or Re:ゼロから始める異世界生活(アニメ)
シン・ゴジラ(特撮風刺邦画)
・君の名は。(邦画アニメ)
・逃げるは恥だが役に立つ(ドラマ)
だと思っています。

で、逃げ恥と言えば、
「結婚の在り方はどうあるべきか」ってのがテーマになっていたと思うのですが、
『君の名は。』をそこに絡めたいと思います。


結局、じゃあタキくんたちは、どうすればよかったのか?

世界に阻まれ、互いの名を忘れてしまうなら、
タキくん、
いや、私達はどうすればいいのか?



その答えが逃げ恥なのかなと。
つまり結婚という形として残すのが、恋を、愛へと昇華させ残していく唯一の究極の方法なのだと思う。
人類が、仲を分かつ“彗星”に立ち向かうために、編み出した唯一の対策、
それが結婚という形。

「結婚」の結ぶという文字に、「糸」が入っているのも意味深に思えてきますよね。

側にいることが、唯一の「君の名を忘れない」方法なのかなって。


逃げ恥エンディング曲『恋』が話題になってますが、
その歌詞をご存知でしょうか?

“胸の中にあるもの
いつか見えなくなるもの

それは側にいること
いつも思い出して”



胸に想いを。恋を。愛を。君の名を。

いくら秘めていても、いつかは無くなってしまうのが、必然と歌います。

そうなってしまわないように、結婚しよう!
いつも側にいて、いつまでも愛を思い出せるようにしよう!と陽気に歌っていると私は思うのです。

私には、タキくん・みつはへの応援歌というか、
私達へのアドバイスのような曲に感じられます。



そして、曲は続きます。

“君の中にあるもの
距離の中にある鼓動

恋をしたの貴方の
指の混ざり 頬の香り

夫婦を超えてゆけ
二人を超えてゆけ
一人を超えてゆけ”



彗星の尾が分かつ2人の距離、
そして越えられない3年という絶対の壁。

滝は、三葉の命を救おうとして、
口噛み酒を呑み、黄昏刻へと踏み込んで行きました。

三葉の声が聞こえ、目の前にいるはずなのに、目の前にいない。
離れていないようで、決して届かない距離に三葉がいます。

この世ならざる、あの世にいる三葉から、
感じるはずのない鼓動を滝は聞きつけ、
刻の壁を越えて、名を記してもらおうとします。

本当は触れ合うことなんてできないはずなのに、
マジックだけが壁を越えることを許され、束の間の奇跡を起こします。

2人はあの瞬間、どれだけ互いに触れ合いたかっただろうか。
どれだけ抱きしめたかっただろうか。



そう考えると、やはり「君の名を忘れない」ための唯一の方法は、
直接、ずっと側に居続けることなのだと思います。

3年の刻の壁なんて!超えてゆけ!
彗星の描く境界線なんて!超えてゆけ!
忘れてしまった君の名、そんな過去、超えてゆけ!





【三葉の“半分”とは?ラスト奥寺先輩の謎の結婚宣言を加味して】
せっかく『逃げ恥』との連動で、話題が“結婚”に移ったので。
ついでに、「三葉の半分」や、奥寺先輩のラストの行動についても掘り下げておきたいと思います。

「三葉の半分」ってのは、中盤ご神体へ奉納に山登りした際、お婆ちゃんが口噛み酒について言及するシーンのことですね。

お婆ちゃん→「口噛み酒やさ、ご神体にお供えするんやさ。これはあんたらの半分だからな」
この言葉を聞いた瀧くん(in 三葉’sボディ)は、しっかり「三葉の半分…」「あいつの半分…」と言います。


初見時、劇中で私は、このお婆ちゃんの「半分」語りに、疑問を感じていました。
頭の中に100個ぐらいのクエスチョンマークが飛び交ってました(笑)

神様への“供物”、隠り世(あの世)へ奉納へ行った“帰り切符”として、
自分の“大切なもの”を捧げる。

というなら、それは「三葉の“半分”」ではなく、
「三葉の“一部”」と言うべきものじゃないの?
って疑問です。
10%でもなく、90%でもなく、何故か50%と断定されていることに猛烈な違和感を覚えていました。

多分、世間的によく躓きやすいのは、そこじゃなくて。
そんな大事なことなら、なぜ監督は瀧くん(in三葉’sボディ)に大役を任せてしまったのだ!?
どー考えても、ストーリー展開のためのご都合主義じゃないかと感じるのでしょうね。タキくんが後で、タイムスリップするための小道具紹介じゃないかって。

「あんたらの一等大切なものを、引き換えにせにゃならんよ」に対して、
妹の四葉は確かに自分の半分と言えるかもだけど、
三葉’sボディに関しては、中身タキくんなんだから、神事として破綻してるくね?って理論ですよね。
皆、思ってそう(笑)

ただ、そういう論理展開は、物語の読み方として「美しくない」と私なら思うかな。

例えば、『山月記』を読む時に、
虎は中島敦の投影で…なんて感じますか?
それは「国語」です。作品の制作背景を踏まえて、「考えて」いるわけです。
本来そこには、虎がいるだけなのです。
虎について一喜一憂すべきなのです。

シンゴジラのストーリーに、東日本大震災が出てきますか?
その考え方は「映画史」です。
邦画という連綿と続く映画史の中で、体系的に「俯瞰して」解釈しているわけです。

それは物語の一次的な楽しみ方としては、斜に構えている、
あるいは美しくない、と私は感じます。

物語の外からの俯瞰は、「学問」です。二次的な楽しみ方と言えるかもしれません。
しかし、作品を素直に「楽しむ」ということ、一次的な楽しみ方とは、根本から別物です。

で、今、私が疑問に思ったという「なぜ50%なのか?」という疑問は、
物語の中から、入り込んで楽しんでいる時に湧いた疑問ですね。

なので、枠の外から出た時に生じる疑問等は、ここでは考慮しないようにします。


では「なぜ三葉の“50%”なのか?」に話を戻します。

が、この疑問については、
実は解決どころか、今は納得し確信しております。
あれは間違いなく「半分」です。「半分」でなければならないようです。

それを「結婚」というキーワードも絡めて解釈します。


突然ですが、ものすっごく個人的な欲望なんですが(笑)
結婚のプロポーズに、とある憧れてる台詞が1つありまして。
(相手がいない…なんて致命的事実は今は忘れるのん……)

ずばり「お前の人生の半分を、俺にくれ!」ってやつです。

この表現、すっごい意味深なんですよね……。
極端な話、10%をくれ!でも90%をくれ!でも100%をくれ!でも成り立ち得るわけです。

でも「半分」というのが無性にカッコいい。
何故か?

噛み砕いて言ってしまえば、「割り勘」の概念ですね。

片方の人生を100%と定義して、
それを50%ずつ割り勘で所有しよう!って理論なわけです。それはお互いに。

それぞれの人生を半分ずつ。
半分の「自分の人生」と、もう半分の「相手の人生」とで、それぞれが1つの人生を得る。
2人で1つ。分け合うことで1つの人生が完成しているわけです。


てな感じで、私個人の「結婚」に対する考え方をご紹介しつつ。
いよいよ「三葉の半分」の部分にフォーカスしていきます。


まず、口噛み酒にまつわる出来事を順に追います。
①三葉&妹が舞を踊り、神事にて米を噛み生成。封をし発酵を待つ。
②瀧(in 三葉’sボディ)が、妹&祖母と共に奉納に行く。
③瀧(in 三葉’sボディ)が、祖母から「三葉の半分」だと教わる。
④現世にて、瀧が口噛み酒の存在を思い出し、三葉との繋がりとなることを望んで飲む。
⑤口噛み酒が、現世と隠り世を「結ぶ」アイテムとして効果を発揮。瀧に「三葉の過去」を見せ、再びタイムスリップを果たす。

ここで注目してもらいたいのは、
瀧くんが、「口噛み酒=三葉の半分」という理解のもとで、それを飲み干したという点なんですよねぇ。

まさに、前述した私の考える「結婚」のスタイルそのものなんです。
すなわち、瀧くん側から三葉へと、結婚の意思がある、好きだ、繋がりたいという意思があると読み解けます。
三葉の半分、そして過去の情報を手に入れ、刻の捻れへとアクセスして行きます。

ですが、口噛み酒の生成理由を思い返すと、
それは神様へのお供え物であり、一見すると結婚とは関係がないようにも思えます。
しかし、よくよく考えてみて下さい。

“巫女”とは何か。
俗な言い方をすると、巫女は神と結婚するものです。だからこそ巫女には処女性が求められるのですから。

だからこそ「半分」。神に自分の半分を授けることで、巫女の資格が得られると考えられます。

よって、瀧くんが飲み干すというシチュエーションだけでなく、
神に捧げたこととも、実は矛盾していないのです。「口噛み酒」→「結婚」の示唆、という解釈は。


では、一度神に捧げられた「三葉の半分」ですが、
それを瀧くんが横取りした、罰当たりな行為に見えるのですが、それはどうなのでしょうか?

私は、セーフだと思ってます。
というか、むしろ熱いプロポーズに思えますね。
そもそも三葉の半分を奉納にいったのは瀧くん(in 三葉’sボディ)であり、
三葉自身が、神に身を捧げたわけではありません。

三葉の神性は、保留になったままだと考えられます。
その状況で、瀧くんの決断、やっぱり三葉が好きだ!お前の半分を俺にくれ!

こういう意図が裏に隠されていたのかなと、解釈しています。


では最後に、この「結婚説」の裏付けというか、後押しですね。
実は、私の思いつきだけで出てきた解釈ではありません。
ヒントはしっかりと明確に、劇中に提示されていました。

それが、ラスト「奥寺先輩の結婚宣言」だったというわけです。
多分、何も考えずに観た場合、
奥寺先輩の行動が不自然に見えると思うんですよね。

そんな何年も経ってから、
バイト先の後輩に会いに行くか!?ってゆー(笑)

感情面については、
本当に高校生の瀧くんが心底好きであって、忘れられず、
「君も幸せになって欲しい」という熱い想いで会いに行ったとみるべきです。
「君も、いつかちゃんと、幸せになりなさい」
愛に溢れた優しい言葉だと私は感じます。
彼女の中には、瀧くんを応援したい気持ちでいっぱいだったと考えられます。

その上で、なぜ監督はそのシーンをわざわざ出さなければいけなかったか。
監督自身が「若い人たちを応援したかった、希望をもってほしい」という主旨の話をされているそうです。

ただ、思うんですよねぇ……。
そこまで大事なメッセージなら、なぜ主人公たちではなく、
奥寺先輩が喋るのか。


私は、それ以上にこのワンシーンが、
削りようのない必須のものだったと思えてなりません。

つまり「結婚」というキーワードを、作中で提示しておく必要があったと私は思うのです。
それが前項にて、逃げ恥と絡めて語った「黄昏という境界線への唯一の対抗手段=“結婚”」へと繋がってくるのだと。

そして、その結婚というワードから、
「三葉の“半分”」という台詞が生まれてきたのかなと推測しています。





【その他、細かい疑問点等を解消してみる】
シン・ゴジラしかり、君の名はしかり、リゼロしかり。
2016年今年は、一般視聴者の目線からすると、疑問点や矛盾点、挙足取りポイントをわざと残すことで、
話題をかっさらい易い構造をした作品
が数多く人気を博した年だったと思います。

いわば、オタク流の物語の楽しみ方が、一般受けされた年だったのでしょう。
昔から例えばスターウォーズなどが流行った最大の要因は、
オタクが裏設定を掘り下げる余地があったから、
物語の外で、舞台設定の作り込み等を研究する余白が用意されていたからだと思われます。

その構造が、現代日本で驚異的に合致した結果が、
君の名は&ゴジラのヒットに繋がったのかなと私は感じます。

まっ、要するに、
せっかく用意された考察余白なのですから、
ただただ自論でけなすなんて、人生の無駄遣いでしかないと思うので(笑)
はいロンパ〜wwwみたいな作品の解釈って、私はガキ臭いなって感じちゃって嫌いなので。

否定するのではなく。あるものを、ありのままに設定を補完して楽しみたいと思います!


っつーことで、
以下、気になった所・多くの人が気になってそうな所etcを、自己流に解釈していきます。



・「てっしー」
勅使河原だそうです。
作中、私は視聴してる時、“哲史郎”とかそんな感じだと思ってたら、
存外にカッコいい名前でした(笑)
いやまぁ、たしかに勅使河原っていかにも貴族的というか、
ボンボンにつけるにはベストなチョイスかもしれないけど……。
さずかにあの山中のド田舎で、そんな風靡な苗字ないだろwって。

ただ、ヒロインの宮水神社が由緒正しいものなら、
その守衛的なポジション(?)として、勅使河原家も代々続いてきてたのかも!?と妄想が広がってます。



・テッシー……そこ代われ…
テッシーよ…お前とは親友になれると思とったけんど……
おま…おまえ……。
よぅ考えたら、両手に花の。ただのタラシやんけ!
片手に三葉。もう片手に悠木碧とか。死に去らせ、クソヒモ野郎!
はっ!何がお前となら友達になれそうじゃ!か〜ぺっぺっ!
もうテメェのことは弁護してやんねえ!
テロ犯で捕まっとけボケが。
(言い過ぎました。反省はしている、だが後悔はしていない。)



・黄昏の地方解釈「片割れ刻」
片割れ、彗星が2つに割れることと掛けています。
1000年前の彗星落下時にも、彗星が2つに割れるという事象があり、そのため糸森の地域には、
「黄昏」→「片割れ時」という伝承が残っているのだということを示しています。
そしてこの1000年前の事実を伝えることが、ヒロインの宮水家に伝えられた使命だったのだろうと予測できます。

また、ここから、
お婆ちゃんの一葉や、父親の立ち位置もおよそ把握できます。
ヒロイン三葉のお婆ちゃん、お母さんにも、
ヒロインと同じ、人格入れ替わりの特殊能力があった
と思われます。

お婆ちゃんが、その入れ替わり能力をどう使ったのかは作中全く分からずじまいですが、
お母さんは、おそらく三葉のお父さんに使ったのだと思われます。

お婆ちゃんが、三葉のことを別人格だと見抜いていますが、
あれは、お婆ちゃんないし宮水家が神聖なものだから見抜けたのではありません。
「入れ替わり経験者だったから」見抜けたに過ぎません。
つまり、お婆ちゃん本人が神聖なものとして描かれていたのではなく、
入れ替わり能力自体に、超常的な要素があるんだと示したワンシーンだったようです。


そのことは、お父さんも、三葉に入った瀧くんを見抜くシーンで判明します。
これは、お父さんも「入れ替わり経験者だった」ということを暗示しています。
かつて入れ替わり経験をした者だからこそ、
「妄言は宮水の血筋か」や、瀧くん看破の台詞へと繋がっていくのです。



・三葉のお父さんの立ち位置
作品の重大パートを占めてますね。三葉と父の確執は。

ただその割に、その解釈が、作中では直接は語られず、
各人の考察力頼みとなっているので簡潔にまとめます。

考察ポイント等はクドイだけなので略すとして、結論だけをまとめます。

父は元民俗学者、
学問的興味から糸森に伝わる宮水の神社にアクセスし、
そこで、母からの入れ替わり能力を実体験し2人は出逢うことになった。

が、入れ替わりの記憶は、瀧&三葉と同様に、「黄昏の妨害」によって曖昧なものとなっていく。
結果、宮水の入れ替わり伝承を「妄言」としか捉えられなくなってしまったのが、現在の父。
妻が早くして亡くなり、その記憶の補完ができなくなってしまったのも、入れ替わり→妄言と断ずるようになる顛末を助長していると考えられる。

だからこそ当初は「今晩、糸森が隕石で壊滅する」と言われても理解できなかったが、
瀧くんの入った三葉を目の当たりにし、
かつての「入れ替わり経験者」として、亡き妻の台詞も妄言などではなく実在する特殊能力なのだと確信に至ったため、
三葉の説得に応じて住民の避難を率先することができた。

三葉のお父さんがいつの間にか住民避難に懐柔されていたのは、
(三葉vs父の確執解消とかって話ではなく、)
いわば、宮水の血筋がもたらした、「描かれないもう1つの奇跡」だったと思われる。

せっかくの物語の山場の1つなのに、作中描かれていないのは、
作品として、「瀧くんが主人公」だと規定するためだと思われる。そこを描いてしまうと、ダブル主人公ものとしての映画の立場に傾いてしまいますからね。
その点はっきりさせたのかと思います。
『君の名は。』は瀧くんのストーリーであって、三葉のストーリーとは違うんだよ、っていう作品としての立場表明と解釈できます。



・奥寺先輩
作中、奥寺先輩は常に瀧くんに恋してます。
恋する女の気持ちを説明する、トレースする、なんて無粋きわまりない。

そっとしておいてあげましょう。



・奥寺のネーミング
表の宮水「神社」に対して、「奥の寺」って発想かも。



・何故、お相手はタキくんでなければいけないのか
これは結構イージー。タイムスリップものとかに慣れ親しんでる人なら。

卵が先か鶏が先かってやつですね。

タキくんとみつはを結びつけたのは、みつはの時間における(中学生のタキくんの時間における)三葉の髪留め(組紐)ですよね。
あれが三葉→瀧へと手渡されることによって、強い絆が2人の間に生まれるようになりました。
その契約というか繋がりは、捻れた時空の中で、あらゆる時間軸の瀧&三葉に「結び」を発生させます。
その手渡す瞬間が、2人の「縁」の起こりであることは間違いありませんが、
その手渡す前の三葉にとっても、瀧くんは時空を超えて結ばれた相手であり、必然的に瀧くんへと組紐を渡さなければならないのです。

タイムパラドックスってやつが生じますが、
それを見ないようにするというのが、タイムトリップものの暗黙の了解なので、
以上で、2人の「縁」の原因は、明確に示されています。
(というか、そもそも本作では、作中で「時間とは、捻れ、絡まり、繋ぎ、結ぶものだ」と定義されてますよね。これは、ある一時点での現象が、あらゆる時間軸への影響を可能にするという設定だと表明したものなので、従来の一本線上の時間概念は成り立たないのです。つまりタイムパラドックスというのは、この世界観の中では存在しないと前置きされているわけです。)

2人は「組紐」によって、捻れ絡まった時空を超越し、「結ばれ」出逢わなければならない存在なのです。



・例のおっぱいモミモミ
男→女、
えっまさか、つまり逆も……?
三葉…まさか……
やべぇ、それはそれで興奮してきたかも(笑)

でもぶっちゃけた話、
男の性器って、不随意なところがあるわけじゃないですか。

身も蓋もない言い方をすると、
男根は、副交感神経の興奮で勃起し、交感神経の興奮で射精に至ります。
どちらも自律神経の支配を受けているわけで、
それは例えば、副交感神経の刺激となると、
食事をした時とか、朝起きた時とか。
不意に、瀧(三葉)の理性とは無関係に訪れるわけでして……。

うん、邪推はやめておこう。

なにもなかった、三葉はナニもしてないはずだ、そういうことにしておこう。
紳士として、無粋な勘ぐりはやめておくことにする(笑)



・タキくんが涙を浮かべているシーンについて
三葉’sボディに入って、口噛み酒の奉納にいってから、
祖母に「三葉、あぁ…あんた、夢を見とるな」と言われ、瀧’sボディに戻って目覚めるシーンがありますよね。

その時、瀧’sボディは涙を浮かべていました。

2016122421322383c.png

映画見てる時は、意味がわからなかったのですが、
帰宅後、ストーリー展開を列挙してるサイトを見て、やっと意味がわかりました(笑)

あれは、タキくんが泣いてたんじゃなくて、
三葉(in 瀧’sボディ)が泣いてた名残なんですね!

全く気づかなかった!不覚!


そこから、三葉が三葉の体に戻ってからも、再び涙がこぼれ、(好きになってしまった相手のタキくんが、奥寺先輩とデートに行ってしまうことを改めて思い知り、)
続く、唐突な東京遠征、「私たち“は”、逢えば絶対スグに分かる」という、奥寺先輩への敵対宣言、
タキくんが何故か分かってくれなかったことへの衝撃、悲嘆、
まだ諦めない!という未来へと「繋ぐ」組紐の継承、敗戦帰宅、決意の断髪。

こういう流れだったんですね。
三葉が三葉の体で涙をこぼすシーンで、恋に落ちていることは私にも伝わってたんですが、
実は前日のタキくんの体に入っている時点で、既にその悲恋は始まってたんだと気付きました。
芸、細けぇっすわ(笑)



・三葉が髪を切った意味
まず一応、時系列の確認。ここが作中で一番ややこしいとこなので。

①-A 三葉(in 瀧’sボディ)が奥寺先輩とデートの約束を取り付ける。寝る前にベットで泣いてしまう。
①-B 瀧(in 三葉’sボディ)が口噛み酒(=三葉の半分)を奉納に行く。
《入れ替わり解消》
②-A 三葉は、自分の髪を組紐でまとめつつ、再び泣いてしまう。東京に行くことを決意。妹に告げ、出発。
②-B 瀧、起きると何故か体が泣いていた。奥寺先輩とデートに走る。
③-A 三葉は半日、電車に揺られて東京を目指す。
③-B 瀧は、デート中も心ここにあらずで、奥寺先輩にも「そして今は、別の好きな娘がいるでしょう?」と見抜かれてしまう始末。
④-A 三葉、東京に行くも、タキくんに会えない、電話も繋がらない。やっと逢えたと思ったら、なぜか互いを分かり合えない。(三年前の瀧くんであったため。)電車での別れ際、組紐を瀧くんに託し、名を名乗る。(瀧くんとの、時空を超えた「結び」の成立。と同時に、効力を持った組紐の放棄による三葉の神性の喪失。)
④-B 瀧は、デートの散々な結果を三葉に報告しようと、電話をかけるも繋がらない。
⑤-A 三葉、糸守への帰郷後、組紐による「結び」への期待か失恋か、あらゆる感情を込めて断髪へ。翌日、学校をサボったことを心配され、テッシーから電話を受ける。祭りへのお誘い。
《死による「結び」の断絶》

とまぁ、髪を切る顛末の順を追うとこんな感じですね。

20161225102227609.jpeg


ちなみに、ついでなので、この後の彗星落下の顛末まで解説すると、
ルートが2つあって、
A : 翌日、失恋(?)後の断髪した三葉と共に、祭りを3人で堪能し、彗星落下。500人死亡。
B : Aルートの死亡後の三葉が、三年後の瀧くんによる口噛み酒タイムスリップによって、黄昏刻を隔ててあの世(隠り世)からの意識の復活を果たす。(三葉の半分が瀧の体に入った結果。)
そしてカルデラ山頂=黄昏刻での2人の奇跡的再会。黄昏刻にて「組紐」を再び手渡され、組紐の「結び」の効力により、瀧くんが憑依していた彗星落下直前の自分の体へと舞い戻る。(黄昏刻の、物が持つ輪郭の曖昧さ故に、どちらがどちらの体に入っているかは曖昧であった。そのため、これまでの睡眠時入れ替え無しでも、意識の入れ替えに成功できた。)
彗星落下の顛末を知った三葉が、三葉自身の体で、500人避難へと奔走を開始する。(劇中では描かれず、成功の結果だけが残る。)

と、なります。
かなりややこしいですね(笑)
バックトゥザフューチャー系の作品群を一度も観たことないと、理解できないかもですね。さすがに、この辺まで来ると。
これでも、かなり設定をはしょって簡略化してそうな雰囲気がありますが、
やはりアニメ慣れしてない一般人目線からすると、ややこしいものになっていそうです。


まぁ、細かいことは置いといて。

なぜ髪を切ったか。
普通に考えると、失恋したから。ってなるんですよねぇ……、そう、「普通に」考えると。

ですが、この作品に関して言うと、
ストーリーのさわりだけを触っても、実は何も見えてないです。

ちょっとキツイ言い方をしますが、
ぶっちゃけ「失恋したから髪切った」という認識だけでは、正直何も分かってない。
『君の名は。』の深みを、何も理解しちゃいない。どこ観てんだってレベル。
(すんませんwwwめっちゃ調子乗ってますが、許してw順を追って説明するので。)


うん、調子乗ったこと書きましたが、
正直に告白すると、私自身も、「失恋による断髪でいいのだろうか?まぁいいか」って思ってましたwwwww

しかし、やはり帰宅してから、考えさせられるんですよねぇ……

テッシーのあの一言が、私に「その結論」からのさらなるもう一歩を進ませるのです。
「やっぱ男関係かなぁ…失恋とか…?」
「なんとなくあんなん切らんやろぅ…」


てっきりテッシーは失恋による断髪派かと思いきや、
よくよく台詞を見てみると、
アンチ失恋派だったのです!
他に何か理由があるはずだという、作者からのリードを喋っているわけです。


私もここだけはかなり悩みました。やっぱり男には女の髪のことは分からんとぅーです。
テッシーよ!おお、同士よ!やっぱり女の髪のことは意味分からんぜ!
なぜ切るのか。
髪とは何か。
時間の流れ。
髪が作中で持つ意味。
髪が三葉の中で持つ意味。
瀧の中で持つ意味。
見栄えの変化。
そもそも意味があるのか。


そこで、とりあえず私は髪を切る前後の時系列を、脳内整理することから始めました。
それが上記①-Aから⑤-A。
ここでまず考えるべきは、変化したものの把握。

・三葉の髪留め(組紐)が、三年前の瀧くんへと託された。
・三葉が、瀧くんと分かり合えなかったことに衝撃を受ける。
・サボったこともない品行方正な三葉が、突然の東京遠征を果たした帰宅後。
・組紐は、もう手元にない。
・デートの失敗。
・2人の「結び」の途絶。

ここで今、注目すべきは、
組紐の継承によって、三葉のヘアスタイルは変わらざるを得ないという点です。

三葉にとってヘアスタイルとは何か。
世にいる数多の女性陣の例に漏れず、彼女もヘアスタイルにはこだわりがあります。
瀧くんがボサボサ頭の三葉の体で登校してしまった時、私の髪はこうだ!と怒ります。

なぜヘアスタイルにこだわる必要があるのか。
ちまたでは、母から教わった大切な髪型だからという話を聞いたことがあります。
しかし、そこで思考を止めてはいけません。
もう一歩踏み込んで捉えると、
髪型とは、周囲の人に私だと認識してもらうためのものです。
つまり周囲の人たちとの「結び」、それが髪型というわけです。


その繋がり、結びを大切にしているからこそ、
三葉は髪を大事にするのです。


では、そんな大切な髪を、繋がりを、何故切る決断をしたのか。

少なくとも、周りの人との縁を切ろうという意味ではありません。
そのことは直後、テッシーからの声掛けで祭りに顔を出すことからも伺えます。

「かつての縁を切る」、というわけではない。
しかし、見た目は確実に変わっている。髪型が変わった。つまり何らかの縁が変わった。

それはどういうことか。
答えは1つしかありません。

新たな繋がり、新たな「結び」が生まれたということです。

すなわち、髪を「切った」のではない。
「新しい髪型にした」→「新しい縁を持とう」という三葉の決意なのです。


それは中学生の瀧くんとの縁、繋がり、結びを意味するものだったのです。


ふぅ、…長かった……。説明終了!


それを踏まえて、彗星落下を考え直すと、
三葉は失恋・悲嘆の中に死んだのではなく、
新たな出会い、決意の中に、無念の死を遂げたと捉えるべきだと私は考えます。

後ろ向きに死んだのではなく、
前向きに死んだのです。


だからこそ、瀧くんの口噛み酒タイムスリップによって死の世界から復活を果たした時、
彗星の落下を、町の死を、自分の死を知っても、ただ嘆くのではなく、
前向きに再び、タキくんに会おうと歩み始められたのです。

なんて健気で強い娘!




・作中最大のモチーフ「糸」
〈糸がリンクする作中ピース回収〉
町「糸森」
三葉(in 瀧’sボディ)が刺繍した奥寺先輩のバイト服
組紐の継承
三葉の髪をまとめた組紐-瀧の腕に巻いた組紐
お婆ちゃんの語り「糸とは時間の在り方」、絡まり、「繋ぐもの」という解釈
瀧がタイムスリップ時に垣間見る三葉誕生時、へその緒

〈私が思うリンク〉
彗星の尾
黄昏における日差しの光の筋
口噛み酒を三葉が垂らす時の液の描写が「線」、その口噛み酒によって瀧が過去へと「繋がった」経緯
電車の扉や、宮水家の敷居など、扉の下枠どアップ(「境界線」)


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たちゅまる

Author:たちゅまる
サービス終了まで楽しみ尽くしてやるって誓ったッ!

京都で大学生ナウ

☆好きなもの↓
映画とSCANDALと、大きく差をつけられてウィズ
最近ウィズ内でSCANDALのクイズ見かけるとテンション↑↑

★嫌いなもの↓
リティカスと呼ぶ人

ゲーム内プレーヤー名も同じくたちゅまる
多分コロプラディスリがちょくちょく入ります(笑)
ちな、黒ウィズ廃課金勢です。

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